好きだ好きだ好きだ好きだ
何度も繰り返した人間が勝ちならば、もう勝っている。
着飾った女にもふくよかな女にもはかなげな女にも優しい女にも、女という女に勝っている。
好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ、本当に好きだ
喚いても叫んでも呟いても懇願しても、勝てないのだとこの理性的な頭は冷静に分析する。
だから、せめて、そう思って、行動しているんだ、人間らしく。
なのに、どうして、なぜ。
いい年した男二人で格闘ごっこ、だ。
先程を思い出せば、溜息。
二人予定なくちょうどいいと、誘ったのだ。
そうして近づけば、椅子から立ち上がるワトソン。
去ろうとする肩を掴んだ手は、瞬時に払いのけられ、右肩をついでとばかりに強く押される。
かまわずホームズが左手を伸ばせば、腹に拳一発。
あんまりにも暴れるので、さすがにホームズの右拳が動く。
もちろん手加減しての拳は、ワトソンの右頬を掠めただけだった。
それなのに、ワトソンは右拳を遠慮なく贈ったのだった。
なるほどさすがは軍医。
暴れる患者には慣れているというわけか。
本当に、ホームズは物悲しくなってくる。何度も、一回だけだと言っているのに。

「どうして君は協力してくれないのかな」
「当然だろう」

そういえば聞こえばいいだろう。
ホームズにとっては、敢行。ワトソンにとっては、犯行。
記念すべき、十五回目は誰が来るともわからない居間でのこと。
いや、ワトソンにちゃんとホームズは言ったのだ。今からベッドに行かないか。夜まで待とうか。
だが、ワトソンはいつもの変わらず無言。
それならと思ったのに、結局は格闘ごっこ。

「一回でいいと言ってるじゃあないか」
「お好きなお薬も一回だけでしょうか、ホームズさん」
こんなにも怒らせたことはない。けれど、ひどく怒ったその顔さえも好きだ。
「何を笑っているんだ」
低く囁かれ、背筋が騒ぐ。
自分の拳が掠めた頬が赤い。
つられたように、頬の腹の肩の痛さは浮び上がる。
避けようとすればできた。
たかが軍医。
しかも現役ではない。
それでもなんとなく、ワトソンからの攻撃はすべて受け止めたかったのだ。
「興味、か」
「なんだい」
「人への興味―いや君への興味が抑え切れないんだ。
久々だよ。こんなにも高揚しているのは」
「僕は難解な事件をおこしていない」
「いいや、違うね。
確かに君はそこそこに風貌が優れている。性格もいい。だが、それ以上の不可思議な魅力をもって他人を引き寄せて惑わせる。
どう抗ったらいいのか、どうあしらえばいいのか。
このシャーロック・ホームズでさえも未解決だ。」
ワトソンの唇が動く。
H、A、T、E。
緩慢に紡がれた言葉に絶望はない。
とっくにわかっている。
ホームズがワトソンが好きなのも。
ワトソンがホームズを嫌いなのも。
文字通り、痛いほどわかっている。
「それでも君は離れてくれないんだね」
嫌いだと言われたのは一ヶ月と十一日前。
好きだと気づいたのは七ヶ月と二日前。
「離れてしまえば君は変われるのか」
「無理だ」
即答に哀しそうな顔。冗談にしては、長過ぎる。
好きだ。
ホームズだけがワトソンを好きだ。
だから、一回だけでいい。夢じゃない、甘い現実を見たい。
「だから、そろそろ覚悟を決めるべきじゃないか」
立ち尽くすワトソンに近づく。吐息がかかる距離まで。
意識した初めての距離に胸が騒ぐ。かたかた身体も騒ぐ。
あんなにも触りたかった。こんなにも刻みたいと願った。
思えば思うほど、手が伸ばせない。
口づければいい。抱きしめればいい。
好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ
殴らず睨まず、ワトソンは無表情で立っている。
喉が、鳴った。
「ホームズ」
ふいに呼ばれ、みっともなく驚く。
「ねぇホームズ。
何か食べに行かないかい?」
吐息に髭が震えるのも、睫毛が柔らかく瞬くのも、見えるのに。
「お腹が空いただろう。行こう」
するりワトソンに逃げられた。
慌てて首を降る。
理性は諭す。そんなわけはない。
まるで哀しんでいるようだと。
ホームズが触れてくれなくて。
そんな、わけは、ない。
「ほら行こう。言っておくけども、ホームズが今日のご飯代は出してよ」
「あ、あぁ」
そんなわけはない。
勝てそう、だなんて。