あ、と呟いて、ホームズはワトソンを見た。 軽く眉を上げ、ワトソンは小首を傾げた。 あ、意外に何もなく。静か。 また、ワトソンは眉を上げさらに溜息をはいた。いつものことだ。 紅茶を飲み、カチャリと置く。 それにホームズの溜息が重なる。 さすがに、気になる。 「なんなんだい?」 「それはこちらの台詞だよ。君は本当に私の恋人なのかい?」 「それは」 ワトソンは口ごもった。 頬が赤くなるのが、わかる。にやにやホームズが笑う。 「それはっそれはそうとして!それがなんなんだい!」 だんっ。 叩いた机でカップが踊る。優美な指が救い上げた。 一口、飲もうとした動きが止まった。 「このカップは私のカップだ」 「あぁそうだね」 「ハドソン夫人が持ってきてから、ずっと見ていた。だから、安全だ」 「安全だって?そんなの当たり前だろう」 「ワトソン。君の目の前にいる、愛しい恋人の名前は?」 「なんだって?」 「私の、名前、は?」 大きな声。 だんまりを続けようとしたワトソンだが、さらに大きく動かそうとするホームズに慌てた。叫ぶ。 「ホームズ!」 「そう。最近では名前が売れて敵には困ってない大人気者、シャーロック・ホームズだ」 ワトソンは椅子に身体を預けた。 なんだかどっと疲れたのである。 「…それが…?」 「そして君は、その大人気者のホームズの愛をそれでも受け入れてくれた恋人だ」 「……それで…?」 やや乱暴にカップを置くと、ホームズはワトソンのカップを持ち上げた。 「何か入れられたらどうするんだい?」 ぱちぱち、と瞬き。 次の瞬間爆発する、ワトソンの笑い。 「笑いごとじゃない!」 「だって笑わずにはいられないよ!何が危険なんだい!?」 「君が好きだって伝えたときにも、私の周りは危険だと伝えたはずだよ!」 「だってっ…だってっ!そんなこと!」 「睡眠薬に痺れ薬に毒薬に媚薬に!最近はそこらの小悪党でも入手できるんだ。それなのに君ときたらまったく危機感がないよ」 「ありえない!ありえないよホームズ!!」 ひぃひぃ笑うワトソンに、ホームズはむすっと黙り込んだ。 わかっているが、抑えようとしても抑えられない。 まったくワトソンはわからなかった。 殺して何の得がある? 動けなくして何の得がある? 媚薬は考えなくても答えは明瞭だ。 まだ、笑いつづけるワトソンにホームズは苛立った。 わかっていない。まったく。 厄介なことには、わかろうともしないことだ。 わざと音を立てて紅茶を飲む。置くときはわざと派手な音をさせた。 とても不愉快だ。 「…ホームズ」 少なくとも、不愉快であるということは伝わったらしい。 ワトソンは黙った。 流れる沈黙。 すこうし可哀相でまた可愛らしく。 「ホームズ」 「いいんだ」 「僕が悪かったよ」 「もういいんだ」 「君がそこまで思ってくれてたのは知らなかった。嬉しくて、つい」 「嘘だ」 「ホームズ」 顔を近づけ、目を合わす。 「ホームズ。確かに僕は笑ったよ。だって、そうだろ? 君の言うようにして、ずっと緊張しているなんて僕にはできないし、必要だって絶対ない。 それにここは僕らの安心できる家だし、 なにより君が守ってくれるんだろ?」 「まぁ」 ホームズの目が満足げに歪む。 「そうだね」 「そうだろ?ホームズ」 「あぁ」 猫のように喉を鳴らさんばかり。思わず手が疼く。 しかし、ここでなでるとホームズがつけあがるだけ。 ぐっと我慢して、ワトソンは微笑みながら離れた。 「まったくしょうがないね。おちおち紅茶も飲めやしない」 「それはこっちの台詞だ」 「だから」「だから、だよ」 にぃと歪む口。 「身体でわかってもらうしかないだろ?」 ワトソンは飲もうとした、紅茶。 いや、ワトソンがさっき飲んでしまった紅茶。 思い出す。 読みたい本を取りに行った、ワトソン。 机にはカップ、新聞を持ったホームズ。 「ホームズっ!なにいれたんだっ!」 「さぁ」 「さぁ、だって!?信じられない!!最低だ!!」 ワトソンは洗面台に飛び込んだ。がぶがぶ水を飲む。 「解毒薬は?!薬の効果が現れるのはいつなんだ?!」 「さぁ」 けたけた。悪魔が笑う。そうして、ホームズは紅茶を飲んだ。 自分がちゃんと見てきた、安全な紅茶。実に美味しい。 「忠告はしたよ」 文