ulcer
名詞
悪癖・腐敗




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指を動かした。
ホームズの、傷だらけの指。
この傷はあの傷は、と一つ一つ思い出す。
労働者のように、働いている証の指。もしくは、有意義な時間を過ごせた証。
幸せな指だと、ホームズは思う。
お気に入りの椅子の上で、日にかざし微笑む。
「今度はどこに怪我したんだ」
このときばかりは目敏く、呟き声。行動も早く、あっという間にワトソンが覗き込みにきた。
「なんでもないさ」
「そうだね。君の手はよく傷が似合うよ」
「怒ってるのかな」
「僕がいつも何て言っているか、忘れてしまったんだね」

ふぅ、溜息一つ。
ぎゅっと手を丸めると、ホームズは下を向いた。

ふぅ、溜息一つ。
くるりと向きを変え、ワトソンは離れようとした。

「傷を放置していることをそんなにも怒らなくてもいいじゃないか。私の傷なんだし」

足が止まる。
戻る。
にこ、とワトソンは笑った。

「そうだね。それに僕は、君が傷に依存しているのにも腹がたっているんだよ。
気づいていたかい?
医者として言うけど、傷というものは残すものではなく消すものだ。
友人としてならば、
傷だらけの指をぞんざいに放置しているのは心配でしようがないんだ」

下を向いたまま、ホームズは考えた。
考えたことはなかった。
傷は傷。それ以上でもなくそれ以下でもなく。
医者としてワトソンは信用がおける。だから、その通りの部分もあるのだろう。わからないが。
それよりも
「ワトソン」
「なんだい」
「恋人としては?」
顔を上げ、ワトソンを見上げる。
「あるいは伴侶としては?」
笑顔が無表情になる。
それでも、重ねてホームズは問うた。
「どうなんだ」
ワトソンは逃げ出すように足を動かし止まり、溜息。
「どうせわかってるじゃあないか」
「いいや、まったく」
「嘘だ」
「そうかもしれない。でも君の口から聞きたい」
深い、深い溜息。
「嫉妬してる」
短い言葉。
そして、用は済んだろうとワトソンは歩き出す。
その服の裾を、ホームズは一瞬掴んだ。

「それなら」

振り返った、目の前で指を振る。

「君だって傷つければいい」

高くかざした指をゆぅっくり下げるにつれて、ゆぅっくりワトソンが跪く。
ホームズの手を押し頂き、静かに口を寄せる。
髭の擽ったさに指が震えた。
乾いた唇、湿った舌。
迷うように或いは確かめるように好き勝手に動く。急に強く吸われ、また指が震えた。
深く、指がワトソンの咥内に迎えられる。
熱く柔らかく、しかし指の腹に当たるモノ。
健康的な堅牢たる歯。
躊躇うことなく、傷ごと皮膚を噛み締める。たやすく、治りかけの皮膚は悲鳴を上げた。
音が聞こえた気がする。
自然と指が震え、僅かにもかかわらず歯の強さが増す。
きっと血はでているだろう。
それなのにワトソンは深く噛み直した。
丈夫な皮膚でさえ裂かれそうだ。
小さな湿った音。ずるりずるり。指から唇が逃げていく。
外の冷気。
痺れるような痛覚。
いびつな歯型。
深い、深い溜息。
解放されてしまった、指を見てワトソンは微笑む。

目に見える。あぁだから。だから、依存していたのだ。

幸せな指だと、ホームズは思う。
お気に入りの椅子の上で、日にかざし微笑む。
なんて幸せな指を持っているのだろうか。