外は夜。冬の雨。
訳もなく毒されたまま、暖炉を分け合っていると、訳もなく呟いてしまった。

誰かを愛する感情は惨めなものだ、と。

暖かさを分け合っている相手、ワトソンは静かだ。怒る様子もない。
ふん、とホームズは首を傾げた。
「どう思う」
「正しいね」
「それだけ」
「それだけさ」
ただ、とようやくワトソンは視線を横に向けた。
「跪いて愛を乞うのが、本当の愛だ。
もっと惨めになろうともね」
「ふぅん。だが、それは特定の個人に限定してないか」
「いいや、世論さ。
特に、人付き合いが嫌いなくせに人のことを好き勝手に探り当て、さらには日常生活がまったく普通にできやしない、そういった人間にはよく当て嵌まるよ」
「苦手なだけだ」
「嘘だ」
視線が外される。ホームズも暖炉を見た。

時計はちくたくと、寝る時刻を示している。
二人、それでも暖炉の側に居続ける。
無言の、心地好い静寂。

あふ、と欠伸をして、伸びを一つ。それで、と前を向いたまま、ホームズは尋ねた。
「跪けばいいのかな」
前を向いたまま、ワトソンは小さく欠伸をした。
面倒臭い。誰が見てもわかる合図に、なぜか腹が立つ。
愛してる。
言ったことはある。
ホームズからワトソンに。ワトソンからホームズに。
軽い冗談のように―いや時としては――。
いやいや、やはり冗談。
どこまでも軽い、退屈しのぎやらの利害関係。
だからこの誘いも、軽くこなすのが正解だ。
ホームズは立ち上がると、椅子の横に跪いた。今だ動こうとしない、ワトソンの手を取る。
わざとらしく手の甲に口づける。
しかし、前を向いたままだ。しかたなく目線に入るように、ホームズはワトソンの目の前に座り直す。
そうして完璧な形で跪き、さてさてと言葉を言おうとした。

眼が合う。

言葉が消える。


なぜ。


慌てれば慌てるほどに、言葉が消えていく。
ワトソンが微笑んだ。足を上げ、ホームズの首筋に乗せた。
遠慮なく力をかけられていく。
抗う気も起きないまま、ホームズの顔は床に近づいていく。
「言わないのか」
酷く遠く聞こえる声。
無理に顔を上げようと抗い、緩まない力に屈する。崩れた恰好。
かろうじて、視線はワトソンに定めた。何とか言う前に、柔らかく唇が動く。
「惨めだ。ホームズ、君だからこそ本当に惨めだ。
けれどね、それ以上に惨めな状態で愛を乞い続けていた男がいるんだ」
にこやかに嘲笑され、息が苦しい。
「どう思う」
「正しいね」
「それだけ」
「それだけさ」
気づいていた。気づかないでおこうと、ホームズは決めていた。そして、忘れた。

あの、ワトソンの眼を、見てしまうまでは。

「もっと惨めに君も愛を乞えばいい」
足の力がさらに強くなり、また床に近づく。抗う、前にどうすればいいのか決まらない。
ホームズは呻いた。
パリパリと鋭い音が聞こえる。氷が割れゆく音のような。
もう随分と前から、この音は聞こえていたような。
単語三つ。文字八つ。
本気で言えば、氷は割れる。
少し抗い、ワトソンを見上げた。嘲笑もなく、ただ静かだ。
泥と土の臭い。埃の臭い。歪む視界。歪む姿勢。
冷たい、人。
ぺろ、とホームズは唇を舐めた。
ようやく、言いたいことがでてきそうだ。