新生活を始めたジョンには、悩みがあった。 部屋の汚さ。 ジョンの部屋ではない。 居間だ。座れるようには、片付けていた。 片付けている、とはいってもほとんど他人のあのシャーロックのもの。 下手に片付けてたら何を言われるかわからない。 幸いなことにジョンは異常な奇麗好きではない。 だが、他人の知り合ったばかりの兄弟でもない同居人にしか過ぎない友人に疑問を持つ、そんな人間が汚したものを片付ける。 お礼はもちろんない。時折、嫌みと文句があるくらい。 以上の事実には、ふつんっとジョンの中で何かが飛びそうだった。 その前にと、何度も忠告した。 シャーロックが忠告に耳を貸す人間だったなら。このふざけた事態にならないと、その度に思い知らされる。 僅かばかりのあるかもしれない情に訴えたくとも、もうジョンの足は動く。 諦めるしかない、のだが―諦めれば人間が終わる気がする。 「右の床に置いてある青い本」 ひらひらと泳ぐ手。そして付け加えられていく、ジョンの新しい悩み。 「僕は君の使用人じゃない」 言いながらも探して渡してしまうのが、いけないのだとわかっているのに。とってきて、と言われたら逆らえない。 姉のせいだと、たやすく責任をぶつけれる相手に心で怒る。始まったばかりなのに、この先暮らしていけるのか。 眉を寄せてジョンは考え込む。 やはり、答えはわからず。 「コーヒーでも飲もう」 呟き、台所に逃げ出す。 なるべくゆっくりと動きながらコーヒーを一杯。 そんなに嫌なら近づかなければいい。 ジョンはわかっている。 そして、繰り返した反論。 テレビも台所もあるのはここだ。 それに。 「わくわくするのもシャーロックの側だ」 ジョンはわかっていた。 厄介。 溜息をつきつき、熱いコーヒーを飲む。気分が落ち着けば、青い本が気にかかってくる。タイトルだけでも見ればよかった。 舌打ちし、急ぎ足で戻る。今日の新聞を賑わした未解決事件が頭を過ぎる。 「シャーロック」 声をかけたが、ジョンは黙り込んだ。目を閉じ、シャーロックは何か考えている。 どうしようか。 一瞬の悩みは、床に落ちた青い本で消えた。椅子から少し離れた床に座り込み、ジョンは青い本に手を伸ばす。 「僕のコーヒーは」 「わっ!」 「コーヒー」 「こーひー?!コーヒー!ないよ!君のなんか」 「なぜ。僕だってコーヒーは飲むさ」 「だから!」 だから僕は使用人でも母親でもなんでもない! 喚きそうになったジョンは開いた口のまま、止まった。 シャーロックの背中、椅子と背中の間から手品よろしく杖が現れる。 杖は握る箇所を向けてジョンに向かい、見事に床に置いたマグをひっかけ、シャーロックへと戻っていく。 あぁさよなら、コーヒー。 「水っぽい」「あっあぁちょっと水っぽいなと思ってたんだ」 「そうだろうね。まぁいいか。飲めることは飲める」 「それならよかったって違う!!!」 叫ぶ。床を踏み鳴らしジョンは立ち上がった。 口を開けるが何も出てこない。 その杖。横着をするな。今何をした。コーヒーをとるな。どこからだした。文句を言うなんて。器用過ぎるだろ。 頭の中では言葉が溢れている。喉に押し寄せて一音も出てこない。 「何が違うんだ?ほらまずは?」 見下ろした先はにやにや笑い。 愉快そうに輝く目がきらきら。 あ。とんだ。 ジョンは無言でシャーロックに近づいた。無言で杖を奪い取る。台所に行ってごみ箱に杖を投げ捨て無言でコーヒーを一杯。 砂糖大量の。 言でシャーロックに近づきジョンはコーヒーを奪い返した。 代わりに、新しいコーヒーを突き出す。 「はい、君の。あと、これからは僕を使ってくれてもいい。だからちゃんと要求してくれ。 片付けだってそうさ。喜んでやるよ。 遠くに物があれば君は動くだろ。それに会話もするだろうしね。君は猿じゃない。鼠でもない。本当に人間なんだろうね」 「すごい癇癪をおこしているな」 「癇癪?素直な疑問だ」 「このコーヒーは甘過ぎる。いらない」 「糖は頭の働きにいい。僕の疑問をしっかり考えろ」 指を突きつけ、ジョンは無言で歩き出す。 部屋の隅。シャーロックから一番遠い、できるだけ遠い隅の角。 壁を見ながら、コーヒーを一口。二口、三口………四口。 からっぽ。 「ジョン」 小さな呼び声。 「…なに」 「携帯にメールが来た。読んでくれ」 受け入れたシャーロック。受け入れてしまったジョン。 ほらもう、諦めるしかない。 「今日の事件に関してだ。君が気にしてた事件だ」 「連続殺人の事件?」 「あぁそのとおりさ」 振り返る。ジョンの視線の先にやや視線を逸らしたシャーロックがいる。 歩き出す。向かってくる足音を聞いて、逸らされていた視線はまっすぐに戻る。 「気になってたんだ。犯人はどんなヤツかもうわかったのか?」 ジョンはにやっと笑いかけた。抑えるつもりだったが無理だ。 そうだ。美味しいコーヒーをいれよう。 しかたがないから、二杯分。 戻